新聞記者になることが夢だった高校球児が、なぜ起業することになったのか?
2月22日(土)は桑名でのコメンテーターの仕事を終えたあと、先日紹介した津市NPOサポートセンターの起業セミナーに参加してきました。
このセミナーは全3回となる連続講座で、同団体スタッフの片山真由美という30代の女性が企画から実施を担当。
彼女なりの強い想いがあり、セミナーの質自体は非常に高く興味深い内容となったのですが、組織的な広報力の弱さから上手く人を集めきれませんでした。
ただ内容は本当に良かったと思います。
対象は「起業」のスタートラインに経つまでに悶々と悩んでいる人。
第3回となる講師は18歳で起業した四日市在住の北川 風太社長(株式会社 ユナイテッドワークス 代表取締役)
仕事の関係上、前半90分しかお話が聞けなかったのですが、なかなかおもしろかったので掲載できる範囲で北川社長の話を抜粋します。
パワポのタイトルは、「新聞記者になることが夢だった高校球児が、なぜ起業することになったのか?」
もしドラのようなタイトルセンスが面白い。
小学生のときの夢は戦場カメラマン、中学生の時はの夢は報道記者、高校生の時は雑誌編集者。
高校生のときに〝高校生が作る高校生のためのフリーペーパー「YOUTH!!」"の制作に携わったことがきっかけ。
仲間と一緒にフリーペーパーをつくる。
お年玉をつぎ込んでいたけど資金的に足りないので、営業してお金をいただいていた。
北川さんはデザイン担当。
デザインをして納品したらお金がもらえる。
当時は「あれ?お金稼ぐの簡単じゃない?」と思ったとのこと(今ではお金稼ぐの大変と思っている)。
それが起業しようと思ったのがきっかけ。
高校卒業後、親に勧められて大学にも入ったが、ほとんどいかなかった。
学校に行かず家で仕事をし始めた。
0期目
4月に税務署へ開業届けを出しにいった。
印刷会社の繋がり一本で仕事をしたのでなかなか仕事がなかった。
給料は8万円。
土日はヤマダ電機でアルバイトしていた。
むしろヤマダ電気で売りまくったので、こっちのが向いてる?と思った時期もあった。
お金はカツカツだったが、何故かどこかで楽天的だった。
学生気分なのでぐ~たらしていた。
1期目
印刷会社の2名と自分の3人で法人を設立。
会社設立は20万円くらいで依頼し、あっさりと設立した。
給料は15万円ぐらい。
2期目
事業が上手くいき、羽振りが良くなって有頂天になっていた。
解約したとある専門職の方から訴えられ裁判沙汰になった。
裁判も会社経営も上手く対応できなかったので、一時的に社長を解任された。
とある業者に販促物を依頼されたので納品したら、担当者がいなくなっていて売掛金が回収できなかった。
そんな大変な中、初めて正社員を採用したが、どのように教育していったらいいかわからなかった。
3期目
初の新卒採用を実施した。
ここからWEBに特化して、印刷からは手を引いた。
印刷専門だった設立時の役員2人は辞任。
しかし役員2人が営業してくれていたので、営業に困ることに。
4期目
営業担当社員も辞めてしまい1人で営業をすることに。
資金繰りに厳しい日々が続く。
無理な営業が多くて、何でもかんでも仕事をとってきていたのでトラブルになることが多かった。
家業ではダメだ、本当にちゃんと会社にしなくては!と思い内部を見直すことに。
5期目
方向性が決まってきた。
方向性なんて普通はみんな始める前に悩むが、今まであまり決断をしてこなかったので、やっと決断した。
自分史を書いてみて、メディアに興味があることがわかったのでその方向性に進むことにした。
自分のできることを物理的に制限して社員に仕事を振るようにした。
6期目
社内の情報共有が上手くいっていなくて問題になった。
しかしこの内部情報共有が上手くいかなかった経験が活かせて、現在のサービスをお客様に提案ができるようになった。
社員から昇級について相談され、人事評価などの制度を構築し始めた。
7期目
いまが7期目。
採用については本当に難しいと感じる。
今後は仕事の仕組みを作っていき、より安定させていきたい。
いろんなもにも手を出さない。
あと従業員が不安にならないように、社長がどこを目指しているのか常に伝えてあげていかないといけない。
などなど、面白いお話を聞かせていただきました。
苦労しているんだなぁと実感。
同じ代表として経営で悩んでいる部分などは似ているなぁと思いました。
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